コウジのはなし

物理的にじぶんができる立場にあったか、なかったか、を別にしたってこんなこと変だなとおもうんだけど、父親の若い頃の写真をもっと撮っておけばよかったなと近ごろ思う、ほんとうにやらなくちゃだめなことをやり損ねたみたいに
それも、撮っておいて欲しかった、ではなくて自分自身が撮っておきたかったなと思う なぜだろう
(若い頃っていうのは、歩くたびにピョーピョー鳴る靴を私が履いていて、父親の手にささえられてようやくよちよちピョーピョー歩いていたような頃など)


つまり彼が父親になった年に少しずつ近づいているからその頃の彼のこともっとよく知りたくなってきているんだけど


父親のうつった写真はすごく少ないから(彼が我が家のカメラマンなので)、科学がすごいことになったらぜひ見せてほしいんところなんだけど、アルバムに入っている私や兄弟の写真にうつっているコトの反対側でファインダーを覗いていた彼はどんな風だった?幸福そうなただの若者だったりするの?同じく若いはずの母親に優しく微笑みかけていたり?煙草をくわえてフィルムを巻きながら、こどもたちのいたずらに片眉を上げたりする?


こどもを寝かしつけてから本を読みふける目の悪いビン底メガネの25歳の彼や、得意の運転で家族を遠くまで連れていってくれる甘い缶コーヒー好きの27歳の彼は?記憶のなかではしっかりと父親なんだけれど、もしかして今の私が見たら、まだまだ少年が居残っているじゃないかと思ってしまったりするの?


こどもたちに隠れてふたりでコンビニのパフェ(プリンがのってるやつ)を小さなスプーンでつつきあいながら ごく絞った音量で映画を観るような可愛らしい夜はあった?助手席に乗るのがいつもきまって母親だったのは、こどもたちがケンカするからじゃなくて、ほんとうはそれがふたりのデートのかたちだったりしたの?
チョベリグって声に出して言ったことのあるしっかりとナウいヤングだった?変な帽子は?かぶった?


少し増えてきた、と気にしているらしい白髪が綺麗にそろう頃には、今現在の父親が "若い頃の父親" になる気がするし、自分がいま大切にしているような時間を当時の彼らに借りていたような気がして、実家に帰るたびに安いカメラをふたりに向けて、できるだけ愛情を込めてシャッターを切るんだけど